6月15日(月) 天気:曇り一時晴れ
越後湯沢と言えば川端康成の「雪国」の地・・・
冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると・・・」で始まる文章はあまりにも有名である・・・
この小説は、昭和9(1934)年12月初旬に、「雪国」の第一章が、この湯沢の地で書き始められたのだ・・・
その国境の長いトンネルが下の写真である・・・
槍のように下がっているのは“つらら”で、写真の説明書きに、この“つらら”を取り除く任務を含め当時の国鉄保線担当職員の仕事は苛酷を極めたとある・・・
このトンネルを通って川端康成氏は湯沢に来ている・・・このころは、まだ今の西口温泉街の通りはない。
「雪国」のヒロイン“駒子”に会いに「駒子の湯」に行ってみた・・・
館内には映画化された当時のロケの様子が写真パネルとなって飾られていた・・・
島村役の池部良さんと駒子役の岸恵子さん・・・左側のサングラス姿は豊田監督。
下の写真は、小説の中にも描かれているが、繭市場で映画が上映されていた時、熱を持っていた映写機が倒れフィルムに引火し全焼したという場面のロケ写真・・・
島村役と駒子役は何人もの人が演じている・・・
岸恵子・若尾文子・八千草薫さんなどだ(↓の写真)・・・
川端康成氏の映画では他にも「伊豆の踊り子」で、やはり何人もの女優さん(田中絹代・吉永小百合・山口百恵さんなど)が演じている・・・
ロケの休憩時間に地元の子供たちと興じる島村役の池部良さん・・・
子供たちのいるところは家の2階・・・屋根から降ろした雪で道路が高くなっているため、2階の子供達に手が届く・・・
後方に写っている“ソリ”も今は懐かしい・・・
昭和30年代の湯沢の温泉街通り・・・
ようやく晴れたのだろう・・・3人の女性が連れ立ってお出かけ。
この年も雪の多い年だったのだろう・・・
家に入るには下に潜り込むように入っていかなければならない・・・
雪道を歩いている人は郵便局員である・・・
もう少し降れば道が2階の屋根に届きそう・・・
こちらの写真は、川端康成さんが常宿としていた「高半旅館」・・・
「雪国」を執筆したという“かすみの間”は右の2階の角部屋である・・・
そして現在の“高半ホテル”・・・
場所は同じ位置に建っている・・・
最後のこの人物の写真は何でしょうか?
写っているのは「雪国」の駒子のモデルとなった芸者“松栄”さん・・・
どちらが松栄さんだと思いますか?・・・右側の人です。
資料によれば、大正4年三条市で生まれ、長岡の「立花屋」から半玉で出、昭和3年に3年の年期で湯沢の「若松屋」に移ったとある・・・
その後一時湯沢を離れ、昭和7年に湯沢に戻り置屋「豊田屋」から“松栄”の名で芸者に出て昭和9年に川端と巡り合ったそうである・・・
その後ご主人と結婚し、三条市で暮らしていたが数年前亡くなられた・・
その記事が、新潟日報の訃報欄に載っていたのをたまたま見つけ、その当時のいきさつを当事者として身をもって知っている人が亡くなってしまったことに、残念な思いをした記憶がある・・・ その後、村松友視氏が駒子の事や松栄さんに取材して書いた本を出している・・・ 購入したのだが、どこにしまい込んだか見当たらない・・・ 駒子の描き方に少し不満を持っていたかのようだったと記憶しているが・・・ もう一回良く探して読んでみよう・・・
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